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星  空  紀  行
昨年の続編で真言宗豊山派の総本山根来寺参拝に出かけた。
さらに根来寺を創建した覚鑁上人の足跡をたどるため高野山へ
さらに伊勢神宮にも足を延ばした。
果たして高野山の星空が撮れるか。




 
高野山・根来寺・伊勢神宮参拝 星空紀行

2017年6月1日(木)から6月3日(土)まで



 6月1日(1日目) 天気 晴れ

浦佐 → 東京 → 大阪 → 高野山→ 総本山金剛峯寺 宿坊「密厳院」(泊)

第一日目は高野山の総本山金剛峯寺と奥の院を参拝し 宿坊「密厳院」に宿泊。

今回は菩提寺の真言宗豊山派の総本山の根来寺と根来寺を創建した覚鑁上人が再興された高野山を訪ねた。


高野山は816年 空海(弘法大師)が嵯峨天皇に上奏してこの地を賜り 丹生・高野の両明神を伽藍鎮守のため勧請。
金堂をはじめ諸堂の建立に着手、一山を金剛峯寺と号したのが始まりで、現在では宗派を超えた霊場として全国から参拝客が絶えない。


高野山密厳院は新義真言宗の開祖興教大師覚鑁上人の御開基にかかる浄刹である。
興教大師覚鑁上人はこの密厳院を御創建になって、常にこの地に住された。
さらに、大師は紀州根来山に大伝法堂を創立して、真言宗豊山派、智山派の基礎を定められた。


 
 新幹線で新大阪へ 即 宴会
浜松を通過 吾輩は特製「うな重」 2,310円也
 高野山 総本山金剛峯寺
 金剛峯寺 秀次切腹のお寺
 金剛峯寺の中庭
高野山のシンボル 根本大塔
 
壇上伽藍と根本大塔
 


弘法大師の眠る「奥の院」



「御廟の橋(みみょうの橋)」 弘法大師がこの橋まで出迎えに来てくれている


 
見上げれば・・・
織田信長の墓
 今日のお宿は高野山を再興した覚鑁上人が創建した「密厳院」
密厳院のお庭
 
今夜は精進料理
お酒はたっぷり
 苅萱堂と月
夜の密厳院
 
 月が綺麗だ

夜の金剛峯寺 門は閉まっていた
 


 6月2日(2日目) 天気 晴れ

高野山 宿坊「密厳院」 → 根来寺 → 伊勢志摩「戸田家」(泊)

第二日目は根来寺を参拝し 伊勢志摩の「戸田家」に宿泊。

今日は密厳院で朝のお勤めをしてから真言宗豊山派の総本山の根来寺を参拝

 
 
根来寺は、1132年高野山に開かれた大伝法堂を始まりとする新義真言宗の総本山です。
開祖興教大師覚鑁上人は1095年に生まれ京都・奈良で勉学に励んだのち20歳で高野山に登った。
当時の高野山は衰退期を迎えていたため、弘法大師の真言密教を正しく伝える必要性を痛感し、鳥羽上皇の庇護を得て伝法会の再興を成し遂げた。
しかし、覚鑁上人の名声が上がるにつれ一部の高野宗徒との間に不和を生じ、荘園領地内の末寺・豊福寺がある根来に移った。

15世紀には大寺院として繁栄したが豊臣秀吉と対立することになり全山消失した。
しかし、江戸時代には徳川家の外護のもと復興した。



石童丸の哀話で有名な苅萱堂
密厳院での朝のお勤め
密厳院の朝食
大伝法堂から大塔と太子堂を望む

根来寺の本堂 大伝法伝 本尊は金剛界大日如来


国宝 大塔の前で
太子堂 弘法大師をお祀りしている
名勝庭園
名所庭園をしばし眺める
興教大師・覚鑁上人のご廟所「奥の院」入口
「奥の院」
 静かな森
 自撮り ちょつと薄くなったか
今日も乾杯!!!
根来寺で精進料理の昼食をいただく
今日の泊りは伊勢志摩の゛戸田家」
今日は伊勢海老三昧
 伊勢海老料理が4品も 最高!!
さらに海老と鯛の刺身
 
 食事の後は露天風呂へ
あ〜 じょんのび じょんのび・・・
 
 いよいよ撮影タイムだが明るすぎた なんとか北斗七星が見える
 東の空からは夏の大三角が昇ってきた
 

 6月3日(3日目) 天気 晴れ

 伊勢志摩「戸田家」 → 伊勢神宮・外宮 → 伊勢神宮・内宮 → 浦佐

第三日目は伊勢神宮を参拝して帰路に就いた。


伊勢志摩の日の出
伊勢神宮 外宮 火除橋
参拝前に心身を清める
外宮
 

 「古殿地」 次の遷宮まで静かにその時を待つ


宇治橋
 五十鈴橋御手洗場 参拝する前に心身を清める
正宮
宇治橋の前で
 
おかげ横丁を散策
名物のうどんをいただく
 
 無事日程終了 乾杯!!!
 浦佐到着まで・・・
 
お土産は 金剛峯寺と密厳院と伊勢神宮のお札と御朱印



 




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